承福禅寺
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放下著

放下著〈ほうげじゃく〉 (六祖壇経)

厳陽尊者 趙州に問う「一物不将来 (ふしょうらい) の時如何」
(何もかも捨て去って一物持っておりませんが、そんな時如何致しましょう)
趙州「放下著」(投げ捨ててしまえ)
厳陽「已に是れ一物不将来、這の什麼をか放下せん」
(すでに何も持っていないのに、何を捨て去れと言われるのですか)
趙州「恁麼ならば即ち担取し去れ」(それなら、担いでいきなさい)

放下とは放り投げる、捨て去ること。著 (じゃく) は放下の強調の助字。厳陽の本来無一物の境地を得たことを得々として語り、趙州和尚の悟りの認証を得たかったのだろうか?ところが、そんなものは投げ捨ててしまえと、一喝のもとに否定されてしまった厳陽尊者である。いささか面白くない。私は既に何も持っていないのに、何を棄てろと言うのですか?と更に食い下がる。

趙州和尚「無一物の境地がそんなに大事なら、後生大事に担いで行きなさい」と諭す。それは何も持っていないということに執着する心を棄ててしまえということなのだ。ここで厳陽尊者、この一言にようやく真の悟りを開く。修行者は苦修錬行、ちょっと道理がわかり、いささかの境地が得られると既に大悟したかのように、悟りの境地に迷う。

俗にいう「味噌の味噌臭きは上味噌に非ず」というように禅でも悟りの悟り臭きは上悟りに非ずといい、真の悟りとしては評価されない。更に放下し、捨て去り、その悟りの臭みをも抜ききってこそ本来無一物の境涯を得られたといいうるのだ。

座禅会へ始めて参加した人が「無心になろうとしてますが、なかなか無心になれません」とよく言うことである。指導する私の説明が悪いのだが、無心になろうと、無心になろうと言う有心の心で臨んでくる初心者が多いと言うことを教えてくれる。有心、無心両方共に放下著である。

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