承福禅寺
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清流無間断 碧樹不曾凋

清流無間断 碧樹不曾凋
清流間断無く 碧樹(へきじゅ)曾(かつ)て凋(しぼ)まず

 清流はこんこんと途絶えることなく流れてやまず、山の緑なす常緑の松やオガタマ、椿、ヤマモモなどはいつも青々として凋むことがない。
 暑さ厳しい夏の都会を抜け出して山中深く入ればこんな情景に出会う。自然豊かな日本の多くの温泉地には清流があって、カジカがなき一層涼しさを演出してくれる。のんびりと湯船にひたり清流の音を聞きながら日頃の疲れを癒したいところである。いかにも夏のこの時期のふさわしい響きの「清流無間断」の語である。また「碧樹不曾凋」も常緑の樹のように家運の凋むことがないようにとの願うめでたさの意味にも当てられよう。

 ただ私は「清流無間断」の語から温泉宿の憩いをイメージしたが、禅語としては単に涼しさをも誘う言葉ではなく、「間断なく流れる」ところに意味を見出さねばならない。
 禅では執着を嫌う。雲は風のままに流れ、水は絶えず流れてとどまることがないように、心の働きが衰え途絶えることない不断の相続を忘れてはならない。
 不断の努力、精進である。修行においては静中の工夫、動中の工夫、つまり四六時中、昼夜なく正念工夫が求められる。とはいえ、煩悩妄想にある私には「間断なし」などとは無縁の世界であったようにも思うが、やはり修行とは日々精進であり、「一を以て之を貫く」のように一貫相続を大事にしなければならないことである。

 

剣豪・宮本武蔵は「千里の道も一足づつはこぶなり・・・。千日の稽古をもって鍛とし、万日の稽古をもって錬とする」と言っています。
 因みに「鍛」千日は約3年、「錬」の万日は約30年ということであるが、要は単なる期間の経過だけではなく日々の稽古、日々の精進工夫の大切さを言っているのである。昔人間の私どもは軍人上がりの先生たちから「朝鍛夕錬(ちょうたんせきれん)」という言葉を聞かされてしごかれたこともあった。

 鍛錬とはもともとは鍛冶屋の用語から出たものらしい。砂鉄を溶かして銑鉄をつくり、その銑鉄を熱して槌で打ち、何度も何度の打ち叩き、不純物をたたき出して硬くて弾力ある鉄鋼をつくる過程が「鍛」であり、その鉄鋼をさらに折り返しては再び叩き、また火に入れて焼き入れ(水に入れて冷却)してまた叩いて刃金に仕上げていくことの繰り返しが「錬」である。

たしかに練ることの方がむずかしく、時間がかかり重要であることなのだ。昔、承福寺檀家さんに鍛冶屋さんがいた。
 まさに村の外れの小さな鍛冶屋さんで漁具や鍬や鎌などを作っておられた。子供のころにのぞきに行ったというより寒い冬は火を使う仕事場が結構暖かったからかも知れない。

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