山呼萬歳声 (漢書・武帝記)
山呼(さんこ)萬歳(まんぜい)の声 又は 山は呼ぶ 萬歳(ばんざい)の声
この夏、茶の湯をたしなむ婦人より、正月にふさわしい茶掛けがほしいので、何か書いてくれとの依頼を受けていた。忘れていたわけではないが、わが下手な書を表装されて人目にさらすのにはいささか恥ずかしさがあり、また目出度い語句の選択まで任されて、何の語にしようかと迷っているうちに、何ヶ月も過ぎてしまっていた。そんな中とうとう催促の電話をもらってしまって、今更お断りもいたしかね、あわてて選んだ語句が「山呼萬歳声」である。

この語は以前、岩手の知り合いのお茶人に書いて差し上げていたところ、皇太子夫妻が岩手のご巡幸の時の休憩の部屋の掛け軸に、何か貸してほしいと県の担当者より頼まれて、貸し出したのが私のあの下手な書だったと聞いてびっくりしたが後の祭りである。そんな思い出の一語である。この「山は呼ぶ 萬歳(ばんざい)の声」という語は漢の時代の武帝が元封元年(紀元前一一〇)の正月に河南省の嵩山(すうざん)に登り、山を祭祀し天に祈って、天下泰平・国家の鎮護の祈りをささげたところ、同行の臣民一同も歓喜に包まれて思わず天子の寿を祝して歓呼の声を上げたという。その歓呼の声は嵩岳の全山にこだまして「万歳、万歳、万歳」と響き渡ったという故事に由来する目出度い語句である。
萬歳とは万年であり、昔は長寿を慶事として祝う慶賀の言葉であったが、今日その慶賀の万歳の辞はやがて一般的な目出度い時に叫ぶようになって、祝賀次第の最後を締める欠かせない儀礼のようになっている。だが、単に慶事の唱え言葉でなく、万歳の声を味わうことが肝要である。
我が昔のことであるが、学生時代は山岳同好会として登山を始め、部活予算獲得のためその同好会からワンダーホーゲル部に昇格させて、暇さえあれば登山とバイトに夢中になっていた時期があった。私にとっての登山は決して楽しいわけではなく、キャンプの重い荷を背負い、急坂を歩くのはつらく、苦しいばかりであった。
しかも、登り詰めて山の頂上に立った時の感激というものはなく、いささかの安堵とわずかばかりの達成感を味わうほどのものでしかなかった。
そんな中にも山にはやはり不思議な力があって、山岳信仰が芽生える如く仏の世界の現成そのものであるのだというおぼろな意識が無いわけではなかった。

霊峰富士を初めとして日本の名山、高山には必ず何ら祠や鳥居が建てられていている。山は山そのものが清浄法身仏の顕現、宇宙の大生命の顕現の相であると感じさせる世界なのである。山は常に清浄法身仏としての説法を垂れ給いて、人をして仏の世界に身も心も投げ入れてくる者に「おめでとう!おめでとう!」「万歳!万歳!万歳!」の声を上げて祝福してくれていたのだ。その法身仏の万歳を味わいたいものである。



