金以火試人以言試 (虚堂録)
金は火を以って試み 人は言を以って試む
今年の夏は北京オリンピックが開かれたが、なぜか盛り上がりの欠けた印象で興奮冷めやらぬという余韻は少なかったように感じたのは私だけだろうか。
次から次に起きる暗いニュースに加え、政権の不安定さと社会不安があってオリンピックムードに酔い切れなかったのかも知れない。もう一つは日本人の期待の種目の金メダルの少なさに原因があるのかもしれない。オリンピックは参加することに意義があるとはいえ、やはり国際間のメダル獲得競争に視点が向けられている以上、メダルの数、しかも銀や銅でなく輝く金メダルに大きな価値が置かれているからである。外国選手も同じらしく銅メダルだかを獲得した選手が表彰式の後、そのメダルを投げ捨て顰蹙をかったという事件まであった。それほどまでに、金の価値はものを言うということだろうか。

もちろん金は貴金属の一種であり、純粋で変わらない価値を持つ尊いものであり、燦然とした黄金の輝きは気高くもあり、仏の威光としてふさわしく、仏像の彩色の第一であった。錆びることなく変色しないことから、貨幣や装飾品としても珍重されてきたし、この金の尊さ金科玉条、金言 金剛王法座などの最上の形容語もある。
ただ、その金にも混じりものがあり、表面だけが金色の偽物があったりで一目見では真贋の見分けがつきがたいことも多いものである。
しかし、その金の真贋は火に入れてみれば一目瞭然であるというわけである。荒っぽく金塊、金の装飾品を火に入れて鑑定するわけにはゆくまいが、溶け具合でわかり、メッキはたちどころにはがれてしまうことだろう。さてさて、人の真贋、人物の評価はなんで計るかである。最近では麻生太郎首相の失言が目立ち、漢字の誤読と軽率な発言をマスコミに叩かれ、野党ばかりか、身内たる与党からも顰蹙を買い、国民からもそっぽを向けられて四面楚歌状態である。まさに人は言を以って試みられるである。よしんば美辞麗句を並べ饒舌、巧言を弄したとしてもその言葉に真実が無ければ人の心に響かないし、人を動かし導くこともできない。
たとえ訥々とした語りであれ真実の心、真の境地から発せられる言葉にはその人物の本質がそのまま現れ出るものである。
禅門の修行形態の禅問答というのがある。そのなかで学道の者に対して公案という修行課題があたえられる。その公案の一つ「婆子焼庵(ばすしょうあん)」というのが面白い。
ある老婆が一人のまじめな修行僧に庵を与え食事のお世話をして20年にもなった。

もうそろそろ修行も進んだことだろうと、あるとき娘を使いその僧に誘惑するように抱きついて見るように言い含めて食事を運ばせた。娘は言われた通り修行僧に抱きついて「さぁ、いかがなされますか?」そこでその僧、全く同ぜず「古木の寒巌に倚(よ)る、三冬暖気なし」(枯れた木が冬の岩に立つように、拙僧の心は澄み切った冬の空のように全く暖かさなど感じない心境である)と誘惑を払いのけた。この報告を聞いて婆さんは「私は20年もただこの俗物を供養したり」といって非常に腹を立て、その僧を追い出し、さらにその庵まで焼いてしまったという。人間である以上愛欲の煩悩は必然的に湧き出るものでる。その愛欲を如何に克服するかが問題である。愛欲に流されてもならず、また、忌まわしいものとして忌み嫌い否定してしまおうとするのも、またそれは愛欲への捉われからなのかも知れない。
まさにこの僧、婆さんによって、「人は言を以って試み」られたのである。



