承福禅寺
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古人刻苦光明必盛大也

古人刻苦光明必盛大也 (禅関策進)
古人刻苦、光明必ず盛大なり

 「今年こそ 今年こそはと誓えども 三日坊主の元の木阿弥」といわれようとも決意新たに新年をむかえた。人の気持ちの移ろい安さも無常の世の常なのだから、三日坊主であろうともやはり年頭に当たっては新たな決意で臨みたいものである。ともあれ老人思考の私は思わずまた一つ年を重ねたぞと喜んでしまう新年である。
 私はこの世に生を受けて今年の元旦で24139日を経過したことになるが、六十六年の生存は長かったようにも思うが、24139日という日にちの経過となると何だか短いような気がする。それでもよくよく鏡を見ればそれなりのしわを刻んでいるのは隠せない。ただ残念なことはそんなに苦労してはいないのにやつれのしわばかり多くて、人生の修行で培われたはずの年輪を感じさせる刻苦された誇りあるしわが少ないことが悔やまれてならない。

 そんな中で思い出す言葉が「古人刻苦、光明必ず盛大なり」である。わが昔の話で記憶も定かではないが、禅門の修行道場で一番厳しい修行とされる臘八大接心の前に「亀鑑」という修行心得が読み上げられたものである。その中に「慈明引錐自刺」の話がある。それは昔の中国、まだ若き道人の慈明禅士は汾陽禅師のもとで厳しい修行に堪えていた。
 時は真冬なのか寒厳の中、慈明は修行仲間の大愚、瑯椰たちと結制して座禅修行に励み夜も横になろうとしなかった。慈明らが硬く決意したことは「古人刻苦、必ず盛大なり」といっては大勇猛心を起こし、眠気がくれば自らの腿に錐を刺して睡魔を払って修行に励むことだった。

  刻苦の甲斐あってついに汾陽禅師の法を継ぎ、さらに慈明自らの禅風はさらに振るったという。この故事は禅道修行の鑑として用いられ、その「刻苦光明必盛大」の語は今でも修行者にとっての励みの語として大事にされてきたことである。
 世間でも「苦労は買ってでもせよ」といい「艱難困苦は人を玉にする」とも言われるように苦労から培われる忍耐力と知恵と力は人を磨き、徳の光を放ち、盛大に香ることである。

 やらされた苦労、いやいや行った苦労はただ、苦労を泣かすばかりで心に刻まれず、暗い影をうつす苦労顔や苦労皺を刻むだけかも知れない。やはり苦労を惜しまず、苦労を受け入れ自らの磨き石としていきたいものである。

 このように「古人刻苦、光明必ず盛大なり」という語は古の大成者は皆自らに厳しく律し、労苦を惜しまず努力しその労苦から生み出された徳の光は、必ず盛大であったという。その教訓は安易に走り、楽を求め、便利さ志向の現代人には必要な教訓かもしれない。老いたりといえど僧である以上私も修行者の端くれとして、今の安穏無障に甘えることなく、この精進努力の刻苦の精神を心の片隅に刻んで置きたいものである。アハハハハ・・・・無理だろうか。嘲笑の囁きがきこえる。

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