承福禅寺
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行到水窮処 坐看雲起時

行到水窮処 坐看雲起時  (唐詩・維の詩)
行いては到る水の窮まるところ 坐しては看る雲の起きるとき

中歳 頗(すこぶ)る道を好み
晩に家す 南山の陲(ほとり)
興(きょう)来れば毎に独り往き
勝事空(むなし)く自ら知る
行いては到る水の窮まる処
坐しては看る雲の起る時

偶然 林叟(りんそう)に値(あ)い
談笑して還期(かんき)無し

 概略の語意としては「私は中年を過ぎた頃より頗る仏道を好み、晩年には終南山の麓に住まいして、ふと興がわけばいつも独りぶらりと山へでかけ、景勝をぼんやりとひとり楽しみ、ぶらぶら歩いては水の流れの源へ到り、心地よく疲れてはそこに座り込み遠く雲の湧き出るを眺めたりする。
 そんな時偶然、きこりのおじいさんに出会っては、談笑をして思わず長話をして帰るのを忘れてしまう」という解される。

 悠々自適の境涯をあらわす道人の生活。俗塵を離れ、どっぷりを自然の妙境に身を置き、水の流れに身をたくし、無心に流れ行く雲のようにたんたんとしたその境を楽しむ詩情を禅者はこれを禅境に重ねてこの語を好んで用い、対服の茶掛けとしても喜ばれた。

 勿論、実際に俗塵を離れた隠遁生活の悠々自適を禅者は尊ぶものではない。東京のど真ん中の雑踏、新宿駅の人混みの流れの中にあっても、高層ビルの間の雲のかすめる時であっても心境においては大自然の中にあるように安穏無事の境涯であってこそ、この行到水窮処 坐看雲起時が生きるのである。

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