承福禅寺
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聞声悟道

聞声悟道(もんしょう ごどう) <無門関>
声を聞いて道を悟る

 人は様々な機縁によって悟りを得ることを言う。仏教では人の心の状態を地獄界・餓鬼界・畜生界・修羅界・人間界・天上界・声聞界(しょうもんかい)・縁覚界・菩薩界・仏界の十に分類している。地獄から天上までは六道と言う迷いの世界であり、声聞から仏までを四聖道といい、悟りの段階とされている。
 しかし、その声聞界は本当の悟りに至っているわけではなく、まだ仏法や仏法に限らず様々なことを一心不乱に学びつつある修行中の状態であり、法を聞いて悟れる状態を言う。

 ここで取り上げた「聞声悟道」の聞声(もんしょう)と声聞(しょうもん)とは全く意味合いは違う。しかし修行者の真摯な修行の取り組みの習熟において、何らかのある機縁に触れ、また何らかの仏道、仏法に縁づくことで、自己の内面において自意識的な悟りに至ることがある。
 その縁に触れて目覚め悟りに到るところが声聞界の上の縁覚界といえる。その状態を「香厳撃竹」の逸話に見ることが出来るのだ。中国・唐代の香厳〈きょうげん〉和尚は、仏教学を深く学び、仏道をよく修めていたが、師の潙山禅師より「父母未生以前(父母のもまだ生まれる前)の一句を言え」いう公案を与えられた。

 香厳はその公案に十八年もの修行期間を要したが、遂に答えを得ず、とうとう諦めて、潙山禅師のもとを去り、尊敬する慧忠国師の墓の傍に草庵を結んで墓守りをつとめていた。
 そんなある日、庭の掃き掃除をしていると、小石が藪に飛んで竹に当たり、静寂の庭にコチンと音が響いた。小石があたって響く微かな音に過ぎないことだろう。だが、香厳にはその微かな響きは父母未生以前の一句を示す大音声に聞こえたのだ。香厳はここでハッと悟りを開いたと言う。撃竹の音で誰もが悟りを開けるものではない。

 この「香厳撃竹」の話の要点は撃竹の音にあるのではなく、その偶然の撃竹の音を機縁として悟りを開くにいたるそれまでの香厳の修行の積みかねがあってのことである。
 公案に取り組みつつ、取捨分別を忘れて一心不乱に庭掃きするその時が将に修行の習熟の時であったのだ。

 江戸期の禅匠・白隠禅師も夜を徹して座禅をしていると、朝もやの中、遠くの寺の鐘がゴーンと微かに響いてきたその瞬間、思わず飛び上がり悟りを開いたと言う。その微かな鐘の音は白隠の耳には百雷が轟く音に響いたのかもしれない。
 いや耳ではなく白隠禅師の全身全霊を揺るがし、今までの煩悩妄想の迷いを一時に吹き飛ばす大音声であったことだろう。それは既に白隠の修行の結実の時にあって、たまたま聞こえた鐘の響きが機縁をなして悟道を得たのだろう。

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