承福禅寺
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耳聞不似心聞好

耳聞不似心聞好 (江湖風月集)
耳聞(にもん)に似(し)かず 心聞(しんもん)の好(よ)きに

虚堂(きどう)和尚の「聴雪」という題の偈頌の一節。
偈頌とは禅旨、禅境を表した詩文をいう。

寒夜 風無く竹に声あり
耳聞(にもん)に似(し)かず心聞(しんもん)の好(よ)きに
疎々(そそ)密々(みつみつ)松櫺(しょうれい)を透る
歇却(けっきゃく)す 灯前半巻(はんかん)の経(きょう)

 「聴雪」の題からして雪の降る寒い夜の光景である。しんしんと降る雪は一切の音を吸着して無音の世界をつくる。
 風もなくまことに静寂をきわめる。そんな中、しばし静寂を破り竹に積もった雪がさらさら、バサッと落ちる。
 竹は雪の重みにしなりながらも耐えかねて、はね返し雪を払う音なのだ。寒夜の寂然の世界だからひとしお耳にひびいてくる。無心に降りしきる雪と竹は枝葉に重くのしかかる積もる雪を「迷惑だよ」と払いのけるのか、「ごめんよ」といって払うのか竹の意思が聞がきこえる。

 その声は松木々や格子を通して遠く、あるいは近くに伝わって耳にとどく。静寂かな中でのことだから、ついついまたいつ発するのか竹の声が気になり耳をそばだて聞こうとしてしまう。耳に聞こえる竹が雪を振り落とす音はただのバサッという音にすぎないが、竹の声は心で聞き味わうところに風趣があり、竹の心伝わる。自然の趣と言うのは単に五官の感覚の眼・耳・鼻・舌・身では分からない。

心で聞き、心の眼で見ることがなければ、本当のところは分からないし、あじわえないものである。
 夜半、灯をつけて経巻を読みふけっていたが、いつしか竹の声を聞きつつ、いつの間にか経巻を読むのさえ忘れてしまっていることにはっと気付いた。
 ここには自己をわすれて自然の中に溶け入った寂然の境地に遊ぶ心境がある。

 この虚堂智愚和尚は中国南宋の時代の禅匠であるが、実は今に伝わる日本の臨済宗の流れ、この虚堂智愚和尚のもとより発したものであり、我が国の臨済宗に果たした役割は大きく日本の禅界にとっては最も重要な祖師なのである。
 この虚堂の法灯を受けて日本にもたらしたのが、日本からの留学僧・南甫紹明和尚であり後の大応国師である。大応国師は博多・崇福寺の開山であり、我が本山大徳寺開山の大燈国師の師にあたる。今、残る臨済宗の法脈は全てこの大応国師のもたらした流れである。

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