灰頭土面(かいとうどめん) (十牛図・入鄽垂手)
昨年東日本大震災発生から四十日目に私は岩手県石巻市へでかけた。連日放映される被災地の映像やニュースになぜかじっとしておれない気になっていた。そんな中に宮城県石巻市・禅昌寺という同窓生の寺が避難所となり大変な思いをしているのだという連絡に、その陣中見舞いと坊さんとしての慰霊供養のささやかな思いもあっての出達だった。震災と津波による災害の様子は新聞、TVで嫌というほど見聞きしていたが、いざ被災地に入り、その現場に立ってあらためて自然の威力の一端に触れて魂は奮えた。

石巻・禅昌寺の玄関の張り紙
十数年前にも訪れたことがある禅昌寺だったが、当時とはすつかり印象は違い、はじめての寺のようでもあり、ためらいながら玄関前に立った。
その時玄関の入口戸に和尚の書いた「灰頭土面」の字が大書してはり出されていた文面を見て禅昌寺和尚の災害復興への心意気を感じた。だがまた、その時私はガーンと殴られたような気がして玄関をまたぐのに一瞬戸惑ってしまった。私は陣中見舞いだ、慰霊供養だのという理由をつけての被災地訪問であっても、その実は被災地見学等、野次馬的な面もあり安易に過ぎる己の行動の甘さに対するしっぺいを食らわされた感じである。
とはいえ、九州からの友の来訪に禅昌寺和尚は大変喜んでくれて、しばし歓談の後被災現場に連れ出し、まるで観光案内のようにもてなしたくれたことに私は救われた。
その因縁の書の「灰頭土面」の語については禅の書籍の「十牛図・入鄽垂手」だと言われている。「十牛図」とは中国から伝わる禅修行の手引書で、北宋時代の廓庵師遠禅師による十枚の図には、人間が本来持っている心の「仏性(ぶっしょう)」を身近な家畜の牛にたとえて描かれている。内容は、その仏性の牛を探し求める牧童(牛飼い)である修行者と逃げ出したその牛との心の葛藤を物語る。
各図に廓庵がコメントと詩をつけ、弟子の慈遠がその一つ一つに序文をつけてあらわされている。その最後の十番目の図が入鄽垂手である。図では布袋和尚が描かれている。布袋和尚は禅僧であるが、自らの身分を捨て立場を忘れて民衆の中に入って衆生済度に尽くしたという。
この図に対する廓庵のコメントの頌(詩)が下記の文である。
胸を露にし足を跣(はだし)にして鄽入り来る。
土を抹し灰を塗って笑い鰓(あぎと)に満つ。
神仙真の秘訣を用いず。
直に枯れ木をして花を放って開かしむ。

布袋和尚は胸をさらけだし足は裸足のままで、ひょうひょうと市街にやってきた。鄽とは俗世の町中のこと。今日、布袋さんは誰でも知っていることだろうが、おなかと胸をさらけ出し背には大きな袋をかついでいるが、中国では弥勒菩薩の化身として信仰されている。その袋には市井で托鉢、物乞いをしての施し物を入れておき、子供たちや困っている人々にその施物を配ったのだという。
その経過には「土を抹し灰を塗って笑い鰓(あぎと)に満つ」そのものの行為があったに違いない。すなわち灰を頭からかぶり顔は泥まみれになっても人のために率先して尽くす行動は菩薩行の実践である。
大乗仏教の特長は「慈悲」である。利他のために「灰頭土面」、泥まみれほこりまみれになってでも、ためらうことなく自発的な動きとして現れる行為は将に菩薩行そのものである。やろう、やらねばならないという考えからでなく、もうやらざるにはおれない心の発露として自ずから行動に移される行為である。こういう菩薩の境地に至れば「神仙真の秘訣を用いず」で、特別な神力、神秘的な仙人のような神通力など必要とはしないものである。この入鄽垂手の境地に至れば己のなせる日常の行為は図らずも枯れ木に花を咲かせるように衆生救済はおのずから行われていくに違いない。



