一聲雷震清風起 (碧巌録)
一聲雷(いっせいらい)震(ふる)うて清風(せいひょう)起こる
※注: (ひょう)を表す漢字がホームページ上で記載できませんので、”風”という字を代わりに使用しています。本来の風(ひょう)の字は写真の筆文字のような風の横に炎の字との組み合わせられた字でつむじ風の意味である。
碧巌録49則の頌(樹)にある語。三聖慧然禅師と雪峰義存禅師の天地も揺るがすほどの大法戦。大禅匠があいゆずらぬ問答のなれど、スカッとしてすがすがしい。その一場に雪竇重顕禅師が韻分のコメントの一節がこの語である。大禅師方の禅境をのべあう問答は解説はしがたいが、この「一聲雷(いっせいらい)震(ふる)うて清風(せいひょう)起こる」語によって禅者の境涯がおぼろながら伺える気がする。

福岡は先日も凄まじく雷鳴がとどろき、激しく雨粒が大地をうちすえていたが、夏のこのころ一転にわかに掻き曇り、すさまじい夕立と耳を破らんばかりの雷鳴には肝を潰さんばかりだ。あわてて、蚊帳に逃げ込む、布団にもぐるなんては昔の話に過ぎないが、雷の威力は今も昔も変わらない。今年もまた、岩陰に避難した登山者グループへ落雷事故の被害はお気の毒である。数年前には、わが寺の裏の大銀杏に落雷して、TV、電話、冷蔵庫、パソコンなど電気器具のほとんどがやられた。さらに50メートル先の隠居家の屋根に飛んできた木の枝が瓦を打ち破って刺さり、部屋中水浸しの被害にあったことを思い出す。
さすがに被害にあわされる身には快くないが、しかしその自然の物凄いエネルギーの余韻をいまだに忘れることは出来ない。自然の元気を頂くというのはこのことかという思いがしたが、落雷の後の大地に残るエネルギーというのか、元気の「気」が満ち満ちているのを感じたのは私だけだろうか。稲妻は呼んで字のごとく稲の妻と書くのは、稲妻に当たって稲の実りをよりもたらすためで、雷が多いほど豊作になるらしいからである。また椎茸のホダ木に稲妻を当てると椎茸がよくできることが知られるように、人間にも何らかの「気」をあたえ、力を与えてくれているように思う。
さて「一聲雷(いっせいらい)震(ふる)うて清風(せいひょう)起こる」はまさに雷声轟き、ひと時の激しい雨の後、やがてサァーと一陣の清風が吹き起こって、さしもの暑さもほこりっぽさも、いっぺんに洗い流して、しおれた草木をはじめ、萎えがちな人間をもよみがえらせるほどのすがすがしい様子を表す。

風(ひょう)とはつむじ風のことであるが、茶掛けの禅語にして書くときは清風の字に書き替えられていることが多いようだ。いずれも自然現象の一面の清々しさをあらわしたものであるが、このことはさらに、あらゆる煩悩妄想を打ち砕き洗い流して、純粋な穢れなき清浄無垢な悟りの心境を形容した言葉として味わいたい。また、禅匠の学道者を励まし導く凄まじい棒・喝、瞋・拳があって開悟して味わう清風の心地よい境涯にも通じる。



