承福禅寺
福岡県宗像市上八1373
TEL:0940-62-1833
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歴史

安延山承福寺

安延山承福寺は釈迦如来を本尊とし文殊菩薩・普賢菩薩を脇侍仏として奉る臨済宗大徳寺派の寺です。
当山は600年ほど前の応安年(1373)その当時の禅界に重きをなした大応国師より三代目の法孫勅諡正続太祖月庵宗光禅師を勧請開山とし、宗像社僧高橋助法橋安延大徳の開創せるものであります。

その後文明2年(1470)宗像大宮司氏国の長臣であった占部越前守平安延(1398~1479)が主家及び亡子盛延の追福の為に再興、次男の月潭中円和尚(1434~1494)を開祖となし、安延山と名づけられました。

 宗像大宮司家より寺領13町歩を拝領し、以来 宗像家庇護のもとに栄えましたが79代目、氏貞公(1545~1587)の没後、宗像家は断絶の悲運にあい、当寺も衰徴しました。

観音堂(筑前西国二十番札所)
観音堂(筑前西国二十番札所)
行基和上作と伝えられる 如意輪観世音菩薩
行基和上作と伝えられる
如意輪観世音菩薩

後、黒田家が筑前の国を支配するようになり、如水公御廻郡の折当寺へ立ち寄られしとき住職の田畑耕せるをあわれまれ、先の国主(宗像家のこと)の菩提寺として旧来の田畑及び山林の拝領を受け、これよりのち、黒田家代よりの知行にあずかり、檀信徒の心のよりどころとする承福寺になりました。

 しかし第二次大戦後の農地法によりて田畑を失い、再び貧寺に帰しましたが、檀信徒の厚志に支えられ現在に至っています。

黒田如水公画像
黒田如水公画像
黒田長政公画像
黒田長政公画像

大本山 大徳寺

大本山 大徳寺

嘉元4年(1315)花園上皇、後醍醐天皇の尊崇を請けた大燈国師(宗峰妙超禅師)が京都、洛北紫野の地に大徳庵を結ぶにはじまる。
のち後醍醐天皇の「本朝無双の禅苑」のご宸翰(しんかん)を得て大徳寺として発展したが亨徳・応仁の乱で灰火尽に帰す。

その後、一休和尚出現と堺商人たちの帰依あって伽藍は再興され、紫野の禅風は再びふるう。

一休和尚の他、沢庵和尚、江月和尚など傑僧を数多く輩出した寺として知られる。

境内の伽藍は重要文化財の三門・仏殿・法堂の一列に並び偉容を誇る。方丈と方丈前の唐門は国宝。

大徳寺境内には二十余の塔頭(たっちゅう)寺院があり、それぞれには、織田信長、石田三成、黒田長政、小早川隆景など武将たちの塔所が数多く建てられている。

また千利休の墓所もあり、茶道との結びつきも深い。

重要国宝の唐門(別名:ひぐらし門)

重要国宝の唐門(別名:ひぐらし門)

方丈前の庭

方丈前の庭