承福禅寺
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百尺竿頭進一歩

『百尺竿頭進一歩』(無門関)百尺竿灯に一歩を進む

この語の百尺は数値としての長さのことではなく、それほどの高い竿の先という意味で、長い修行で至った悟りの極地の喩え。しかし、如何ほど高い境地にあっても、そこに留まって安住していたら何のはたらきも出来ない。その悟りより、「さらに一歩、歩を進めよ」と言うことは、百尺の竿の先きから踏み出すほどに不惜身命、命をも投げ出して、衆生救済へ向かってこそ、悟りの意義があると言う意味。

いったん掴んだ安らいの境地、悟りの世界は大変居心地がいいものらしい。しかし、その居心地のよさで終わっていたら、悟らぬも同じで、何の悟りかというわけである。晴れた山の頂上は見晴らしもよく、気分もいいものだ。しかし、そんなところで満足していてはなんの意義がない。その素晴らしさを、さらに味わい深め、人に伝えひろめてこそ禅者の働きとなる。百尺の竿灯から一歩踏み出せば、命を失うこと必定である。しかし、ここで清水の舞台から飛びおりる、その勇気がなければ真の禅者とはいえない。

だから禅門では「大死一番、絶後に蘇る」という言葉を尊ぶ。同義語として「青霄裡に住まらず」という語がある。霄裡とは雲ひとつ無い晴れ渡った大空。そのが広がって清々し尊い世界だが、いかに尊い境地であっても、悟りの本当の働きはその青霄裡に留まっていては出来ないのである。いかに大安心の悟りを得ようとも、そこに腰をすえておったならば、禅者としての悟りの意味は無くなってしまう。なぜなら、それは自ら一人の安心、満足であっては、大乗仏教として、多くの人々の救済、済度という禅者の使命を果たすことができないからである。

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