花簇々 錦簇(碧巖録)

今まさに春爛漫、花は桜ばかりではない。百花繚乱。菜たね、蓮華草、見渡せばあちらこちらに花便り。「簇々」とは「群がり連なるさまを言う」今年は珍しく桜と雪が同居する光景も見られたが、これもまた風流な風情だった。この句から天下泰平の美しい春景色を見て取れて、このことだけを味わうのもかまわないが、禅語としてもう少し深く味わいたいものである。
洞山守初禅師が「如何なるかこれ仏」仏法の大事な教えはなんだと問われて「麻三斤」とこたえたことは「洞山の麻三斤」の公案として知られている。これについて、字義の解釈だけでは洞山の応えの真意は出てこない。
あるとき、別な僧が智門光祚禅師に問う
「如何なるかこれ仏と問われて麻三斤と応えられたが、その肚(はら)の内はどう言うものでしょうか?」
智門禅師云く
「花簇々 錦簇々」と応えられたと言う。

仏法と言うのは、何か特別なものではない、「野に山に神仏の教えは満ち満ちているのだ。山川草木仏の姿の顕現である。眼前に手にしている「麻の三斤」である。また今目前にしているすばらしい百花繚乱たる風光も、そのまま光明返照の仏国土なのだ。茶道の大成者、千利休は茶の湯の道楽に仏法求め、禅道を求めることにあるとして茶道を大成した。
即ち、侘び寂びををもって四畳半の茶席に仏国土を築こうとしたのである。



