一大事 (いちだいじ)
生を明らめ死を明むるは仏家一大事の因縁なり(道元禅師)

大事件、災難危機やにあって大変だ、一大事だと慌てふためく日常語であるが、禅者は仏法における最も大切なことを一大事と言う。お釈迦様始め、諸仏は皆等しく仏法をもって衆生済度を生涯の使命としてこの世にご出現されたと言う重要なる由縁がある。仏が教えを説いた意義、人が生まれた意義、私が人としてある、この自己とはなんぞや?を明らかにすることこそ一番大事なことである。
私たちに一生で一番大切なことは自分の生き死にの問題ではないのか?ぼんやりと虚しく過ごしていてはいけない。だから道元は「この一日は惜しむべき重宝なり、一生百歳のうちに一日は再び得ることなからん」といい「おほよそ仏祖の児孫かならず坐禅を一大事なりと参学すべし」と説いている。臨済禅の中興の祖と言われる白隠禅師の師の正受老人は「一大事と申すは今日ただ今の心なり、それを疎かにして翌日あることなし。すべて遠きことを思いて謀ることあれども的而の今を失うに心づかず」とおしえている。まさに、今というときは今しかない、今というときは再び帰ってこない。いまを大事にである。
茶人の千宗旦(利休の孫・裏千家の祖)は隠居するにあたって茶席を建て大徳寺の清巌和尚を招いた時、和尚は約束の時間に遅れたので、宗旦は「明日に来てください」と言いおいて、外出した。
遅れてきた清巌和尚は茶席の板張りに「懈怠の比丘明日を期せず」(ぐうたらな私のこと、明日のことなど分らないよ)と書きおいて帰ってしまう。

帰宅した宗旦はこれを見て深く感じ、清巌に「今日今日といいてその日を暮らしぬを明日の命はとにもかくにも」という一首を献じて詫びたという。
今でも裏千家のことを「今日庵」という名はこの一事によるもの。
つまり「一大事」とは、まさしく今日ただ今の心なのである。



