福聚海無量(法華経・観音普門品)
一般にもよく知られる観音経の中の最後にある一節である。
具一切功徳 一切の功徳を具し
慈眼視衆生 慈眼をもって衆生を視(み)たもう
福聚海無量 福聚の海は無量なり
是故応頂礼 是の故に応(まさ)に頂礼(ちょうらい)すべし

観音経には観音菩薩は優れた威力、神力を持っておられ、観音様を信じ念じ、一心に観音様の御名を唱えるならば人生のあらゆる苦難、苦厄を除いてくださり、勇気を与えてくださることが縷々に説かれている。南無観世音菩薩(なむかんぜおんぼさつ)と声を出して唱うることが、観音信仰の第一歩であり、すべてかもしれない。「観音菩薩は一切の功徳を持っておられ、慈悲の眼をもって衆生をご覧になっておられるのだ。そして一切の衆生を救済済度なされようとしておられるのである。観音菩薩とは大海のように無量無限の福徳を持って衆生のために垂れ給うご存在であるからである。
だからこそわれわれは信心を発して帰命し礼拝し南無観世音菩薩と御名を唱え信仰に励むべきである」という意味である。
この福聚海無量を福寿海無量としたのは、目出度さの語の一幅の軸物のとして、あえて目出度さを強調を意図して寿の字を当てることがあるからである。先月9日天竜寺管長・平田精耕老師が遷化なされた。その悲報に接してふと思ったのが福寿海無量の語であった。
老師がまだ花園大学教授で居られたときわが卒論の指導教授であり口頭試問の教官でもあって、不勉強の私は平田老師のお目こぼしに与かって卒業できたものである。かなり以前のことであるが、平田老師を団長として台湾の善光寺へ親善訪問したとき老師から朱扇に染筆して頂いた。

その折に私は台湾訪問記念にと善光寺の王秀蓮尼住職にも朱扇に染筆を願った。そのとき秀蓮尼が書いてくださったのがこの福寿海無量である。王秀蓮尼は台湾からの留学してきた花園大学での同期生である。同期といっても年齢も上で、よく学ばれ、修行された高徳の方であり台湾で善光寺を開き、仏教学院を開き大勢の御弟子を育て信者大衆集う大伽藍を擁して尊崇を集めておられる方である。そのとき老師は私のその朱扇の語をご覧になり「まさに観音菩薩の福寿海無量の功徳にあずかっておられるよ」とポツリと王秀蓮尼の活躍と実績を讃えられていた。



