承福禅寺
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眼横鼻直

眼横鼻直《がんのうびちょく》  (永平広録)

 先般、我が寺の座禅会での茶話で、ある居士より角川映画「禅・ZEN」を見ての感想を聞かされた。その人の映画評は甚だ不評で手厳しい評価だったので、私はそこで「禅ZEN」の鑑賞意欲を失ってしまっていた。ところが、後日、ある女性からすばらしい映画であるという逆に賛美の声を聞かされて、人にはそれぞれの見方があり、感じ方があって、一つの意見、一方だけの見解で判断出来ないことだなぁと思わされたことであった。

 実は私はこの「禅」という映画の主人公たる道元禅師の一途な修行態度や、厳しさや純粋さが大好きで、「正法眼蔵随聞記」を読むうちに、いつかは「道元」の心を描く映画を作りたいものだという妄想を抱いたことがあった。
 もちろん、映画作りの才能も資金も意欲も無い私の単なる妄想に過ぎないことである。道元は親鸞や日蓮に比べドラマチックなエピソードが少ないためか、小説にも映画にもなっていなかっただけに、主人公を演じる中村勘三郎と監督の高橋伴明がどんな捉え方で道元を描いたのか、どこまで道元の心に迫れたのか、やはり多少の興味と関心があった。

 そんな思いの中でたまたま、友の誘いがあって「禅ZEN」の映画鑑賞となった。角川映画そのものは娯楽性が求められることであるから、それなりに楽しめる場面があっての評価は出来たが、私が思い描く道元の心の面には程遠い印象であった。

ここで映画評論をするつもりはないが、道元禅師の人なりをあらわす「春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬ゆきさえてすずしかりけり」の歌の紹介にしろ「あるがままに・・喜びも、苦しみも、涙も・・あるがままに」というような道元のことばが随処に羅列されていたが、その言葉に出すことによってかえって胡散臭さを感じたのは私だけだろうか。

 「眼横鼻直」の語を口にする映画のシーンは敵対する僧兵に対してであったが、この眼横鼻直の語こそ道元禅師が二十四歳で宋に渡り各地で研鑽し、ついに天童山の長翁如浄禅師のもとで法を受け帰国し、道元自らが招来した禅法の宣布へ静かなる大獅子吼の語であって、あのシーンでは使ってもらいたくなかった。それは 山僧、叢林を経ること多からず。等閑に天童先師に見えて、当下に眼横鼻直なることを認得して他に瞞せられず。すなわち空手にして郷に還る。所以に一毫の仏法なし。

 任運にしばらく時を延ぶ。朝、朝日は東より出で、夜、夜月は西に沈む。雲収まって山骨露われ雨過ぎて四山低る。畢竟如何。良久していわく、三年一閏に逢い、鶏は五更に向かって啼く。私は宋国での僧林での修行は他の人に比すれば多くはないが、天童如浄禅師のもとで目は横に並び鼻は直のある、眼横鼻直という道理をしっかり掴んできたことにおいて、どんな人が来ようが、仏が来ようが、悪魔が来ようが決して動ずることのない肚が出来た。

 かつての中国への留学僧は必ず多くの経典や法具を招来してきたが、私は何一つ持ち帰らず空手で帰朝した。だから、皆が期待する仏法などこれっぽりも無い。しかし朝は朝日が東より昇り。夜は夜月が西に沈む・・・また三年目には閏年があり、夜明けには鶏がコケコッコーと時を告げるように、あるべきものが、あるべきところにあるべきようにそなわっている姿、そこに真実があり、悟りが現前しているではないか。まさに「柳は緑 花は紅」であり、あるがままなのである。

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