廬山烟雨浙江潮 (蘇東坡詩)
廬山(ろざん)は煙雨(えんう)浙江(せつこう)は潮(うしお)

廬山烟雨浙江潮 - 廬山は煙雨浙江は潮
未到千般恨不消 - 未だ到らざれば千般恨(うらみ)消せず
到得歸來無別事 - 到り得て帰り来れば別事無し
廬山烟雨浙江潮 - 廬山は煙雨浙江は潮
廬山の煙雨と浙江の潮は中国の二大奇観だとも言われ、多くの文人墨客は一度は訪ねてみたいと言う願望を抱くらしい。廬山は中国江西省九江市南部にある名山で峰々は峻険で奇峰連なり、霧に霞むその風景と雄大さと秀麗さは古来より広く知られ、奇秀は天下一と称えられてきたことである。
今も廬山自然公園としてユネスコの世界遺産に登録されている名勝である。また、杭州の銭塘江の潮流の景観は「浙江の潮」ともいわれて、むかしから天下の奇観として知られる。杭州湾の満潮の海流と銭塘江から流れ込む河川の水がぶっかりあって津波のように浙江に激しく逆流するさまは壮観であるらしい。毎年中秋の頃に潮が満ちて来るときには、この満ち潮を見に来る人が昼も夜もあとを絶たないという。中国の詩人蘇東坡もその一人だった。
彼はこう詠った「廬山は煙雨、浙江は潮 到ざれば千般恨み未だ消せず到り得帰り来たれば別事なし 廬山は煙雨、浙江は潮」と。
廬山の煙雨と浙江の潮は天下の名だたる景観であり、ぜひ一度は訪ね冥途の土産にしておきたいとあこがれていた所であり、見ずにいることは心残りで死ぬにしに切れないおもいだ。
しかし、その念願が果たせて感激をしたけれど、されど帰り来て見れば格別それ以上の感慨はなく、廬山は廬山であるし、浙江は浙江でただそれだけのものでしたという・・到ってそっけない内容の詩である。しかし実は廬山は煙雨浙江は潮を実際に目の当たりにし、感激してきた体験からこそ云い得た「廬山は煙雨浙江は潮」は別な心境があるに違いない。

禅では「悟了同未悟」といい悟りとは格別のものがあるわけではなく悟った後も悟らない前も少しも変わったことはない。悟らぬ前は悟ったら神通霊力が備わる等、不可思議なる格別心境が得られると思って修行したけれど、いざ悟り得たとしても相変わらず暑さ寒さは身にしみ、お腹が空じきたれば食せねばならず、悟らぬ前も「花は紅、柳は緑」であり悟り終えても「花は紅、柳は緑」であって格別不思議はない。
しかし禅の修道においてはじめは山は山、川は川であったものが、禅境地の変化とともに山は山でなくなり、川は川でなくなっていくが、禅の本当の境地に至ったとき、山はふたたび山であり、川はふたたび川で外見は何ら変わるものではない。だが、得心到る今は心にかかるうらみなし、別事なしで心境においては大きな違いなのである。



