一日不作一日不食 <五燈会元>
一日作(な)さざれば 一日食らわず
この語は唐代中期の百丈懐海(ひゃくじょうえかい)禅師(749~814)の逸話に伴う有名な言葉である。百丈は福建省に生まれ出家して諸教を学び、禅修行し遂に禅匠・馬祖道一禅師の法をついだ。江西省の百丈山に大智寿聖寺を建立し、禅の道場を開いて大いに禅風をおこしたが、百丈禅師の特筆すべきは清規(しんぎ)と言う禅宗教団の協同生活を維持する上での規則を設けたことである。
それは百丈清規といわれ、後の禅宗道場の集団生活を適正に維持するための規則のもととなって今日も引き継がれている。

百丈以前はインドの仏教教団以来の伝統として僧団内では経済行為や労働を行うことなく、托鉢または信者在家の喜捨、布施によって修行態勢を維持してきた。ところが百丈は労働も修行の一環として重視、田畑の耕作を始めあらゆる労働にいそしみ自給自足を行うようになった。この労働を禅宗では作務(さむ)といい、座禅の静中の修行に対して、作務は座禅以上に動中の工夫として重視された。その禅門の伝統を作るきっかけになったともいえる「一日作(な)さざれば 一日食らわず」の語である。
百丈禅師は自らの清規に基づき庭掃除を始め、八十歳になっても鍬や鎌を持ち畑の作務に率先して出かけていたが、弟子たちはあまりにもご老体の和尚に畑仕事をさせては申し訳ないと「和尚さま、もう作務に出られることはどうかおやめください」と再三お願いした。だが、一向に作務をやめようとしない和尚に、あるとき弟子たちは遂に和尚の鍬、鎌、箒などの作務の道具を隠してしまった。翌日和尚は作務道具が無くなったので仕方なく居室に戻られたが、この日から和尚は食事に手を付けられなくなったのだ。
弟子たちは体の具合が悪いのか心配して伺ったところ、百丈の答えが「一日作(な)さざれば 一日食らわず」だった。
これは「働かざるものは食うべからず」と言う言葉と似てはいるが、これは俺は働いているから食う資格があるとか、お前は働いていないから食う資格は無いという権利義務的な冷酷な意味合いは微塵も無い。

百丈が行う作務としての労働は単に賃金を得たり、食らうための単なる労働ではない。百丈が行う作務はまさに修行としての仏法の行為である仏作、仏行そのものなのである。禅門では作務(労働)は動く座禅だともいい、作務の中にも禅定工夫を求める修行として捉える。百丈はそのことを最も大事にしていたのであり、また作務は単なる野良仕事ではないこと弟子たちに示す言葉として「一日作(な)さざれば 一日食らわず」を示されたのである。



