承福禅寺
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一挨一拶

一挨一拶 (いちあいちいさつ)

 私たちは日常において「おはよう!」「こんにちは!」と言った挨拶を交わす。挨拶の形式はさまざまなれど人間関係の潤滑油みたいなもので人と人とのコミュニケーションを図る上ではなくてはならないものである。挨拶は、人と人の間に積極的に切り込んでいく「行動」のひとつであり禅問答の中から生まれた言葉である。だからこの「挨拶」の語を禅語だと言われてきているが、正しくは「禅の用語」であり禅旨を表す「禅語」とは言えないかもしれない。

 禅問答において、一方が相手の力量を測るための積極的な攻め込み、突き進む「挨」があり、すかさず切り返すし、切り込む「拶」があって相手の境地、力量を見定めあう丁々発止のやり取りの様子をあわしたことばである。
 一挨一拶とはまさにこのことである。一方が言葉を投げかけて、その反応から相手の禅僧としての値踏みするわけで、決して油断はできない。そんな状況の中で相手に気を向け、また向けさせて心を測り心を通わせる手段として今日一般的に交わす挨拶となったといわれる。「挨拶」は人と人とのコミュニケーションの基本であって、人種は違っても、また大人も子供もすべての人になくてはならない心の潤滑油なのである。

 我が地元小学校の校門前に小学生が作った挨拶標語の立て看板があった。
「あいさつは こころをひらく 第一歩」
「あいさつは 笑顔をひきだす まほうだよ」
「あいさつは みんなのこころ かえてるよ」
 一挨一拶、言いも悪いも挨拶の切り込み方一つで相手の反応は変わる。オイコラ!といえばなんだこの野郎!!とくるだろう。やさしい心のこもった言葉をかければ、ありがとう!と笑顔が返ってくることである。
 ファミリーレストランに入ると大きな声で「いらっしゃいませ」の叫び声が飛んでくる。空虚な響きとして耳元を過ぎ去るだけの挨拶では何とも返事のしようもない。

 「心に愛がなければ相手の心に響かない」どこかで聞いた言葉がよぎる。何かの仕事をしながら後ろ向きのままの「いらっしゃいませ」や眠気まなこであくびしながらの「おはよう!」の言葉は挨拶とは言えない。
 中学生たちの自転車数学路、道いっぱいになってワイワイガヤガヤ話しに夢中なのかよたよたしながら走ってくる。ジョギングの私に気が付かないでぶっかりそうになる。

 「こら~!気をつけろ!」と叱ればきっと逆襲に合ってしまい痛い目にあわされることだってある。総ての挨拶は、相手に氣を向けることから始まるもので、それも、プラスの氣でなければマイナスの結果しか得られない。
 道いっぱいに来る中学生たちを無軌道な奴らを見るか、彼らはまだ社会的訓練が乏しいだけの若者としてみれば腹を立てて叱ることではないのだ。 「おぉ~い、ちょっと通しておくれ」と叫んだ私の一声に子供たちはさっと道を拓き「すみませ~ん!おじさん、頑張ってください!」と声をかけてきた。「売り言葉に買い言葉」どんな言葉を投げるか、相手に対する優しさ慈しみの声掛けをし、プラスの気を向けさせていきたいものである。
 氣を向けるから「氣づく」のである。相手に氣を向けさえすれば、相手の状態に心の状態を知ることが出来る。ただすれ違うだけの人であっても「おぉ~い!」とか「こんにちは」という声をかけた瞬間から相手との関係は始まり意味を持った存在となり、互いに影響し合える関係にかわる。どうせならいい関係を築きたいものである。

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